扶桑社
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野沢 尚
親愛なる者へ 2003.1.26記

1992年7月から9月までフジテレビ系列「木曜劇場(木曜22時)」として放送されたテレビドラマの脚本だ。我が家の書棚を見ると案外脚本が多い。
一度見た映画やドラマが面白くてオリジナル脚本まで読んでしまうことが多いということだろう。ドラマでは監督の手腕によって描ききれていなかったり、役者が演じきれていなかったりする細かい部分まで分かったりもするので原作を読むのとはまた違って、脚本を読むのもなかなか面白い。

この『親愛なる者へ』の作者、野沢尚さんには何度か会ったことがある。ボツになった単発テレビドラマの取材や個人的な集まりでだが、緻密な取材をするなと思うぐらい勉強熱心な方だった。と同時に理屈ではないものまでちゃんと受け入れる度量の広さまで持っている人だった。例えば、窓から見るこんな景色の時にはどんな音楽を聴いているか?などの抽象的なことまでしっかり手帳にメモっている人だった。
たとえ1度や2度の出会いであっても会ったことがある人の作品というのは何となく気になってしまい、その後意識してしまうようだ。

このドラマもそんな理由で見たのだが、自分の中では好きなドラマのいくつかの中に必ず入る作品となってしまった。
「木曜劇場」はいわゆるトレンディドラマよりは高年齢層の視聴者を狙ったドラマが多い。『親愛なる者へ』も20代後半以降の層を狙ったものだ。私自身はドラマの主人公達の年齢を上回っていたが、毎週楽しみに見ることができた。
その理由は、男と女の我がまま且つ矛盾だらけの恋愛観・結婚観がドロドロしながらも正直に描かれていたからだと思う。
よく「自分のことを棚の上に上げてよく言う」というような言葉を耳にするが、人に何かを言う時に自分を辱めていたら何も言えなくなってしまうのではないだろうか。言ってしまってから自分を棚の上に上げていたことに対して自己嫌悪に陥ったり、反省したりするので良いのではと個人的に思っている。
このドラマの主人公の一人、柳葉敏郎も自分の浮気に対しては理論武装しているが、妻の浅野ゆう子の一瞬の気の迷いには自分を棚の上に上げて理論ではなく感情的な思考になってしまう。男だから擁護するわけでもないが、このへんの心理も妙にリアルでドラマを暗くさせている。しかし、その暗さは全く救いようのないものではなく、小さいながら希望の光も見せてくれているあたりがドラマを見る持続性を与えてくれたのかもしれない。

● PROLOGUE:野沢尚

● SCENE 1:夫婦の逢びき

● SCENE 2:永久欠番

● SCENE 3:彼女を恨んで生きてきた

● SCENE 4:ガラスの動物園

● SCENE 5:夫婦のアニバーサリー

● SCENE 6:夫のアリバイ証明

● SCENE 7:悪女かもしれない

● SCENE 8:ここからが地獄

● SCENE 9:別れまでの900メートル

● SCENE 10:あなたも孤独ですか

● SCENE 11:ゼロになれない私

● SCENE 12:With

● INTERVAL:浅野ゆう子・野沢尚・大多亮、対談

● EPILOGUE:大多亮

ドラマは上記の目次タイトルに沿って進んでいく。
脚本家は言葉を大事にするんだなぁと思うのは、各回の最終シーンで毎回流れる次回へのフリともなる主人公2人のナレーションだった。
このナレーションが次回への期待を大いにあおるものだった。
例えば、
第1回目の終わりは、
「夫婦の恋愛を越えるものなんてあるものか、俺はそう信じていたいんだ」
第3回目は、
「昔、妻がどういう女であったのか、俺は知らなすぎた」
第5回目が、
「愛しちゃいけない人が去ってゆき、愛さなくてはいけない人がもうすぐ私の許に帰ってくる」
第6回目が、
「俺はまだ、凪子(妻)を裏切っていない。まだ、今は・・・」
なかなか意味深長でそそられるのは私だけだったのだろうか。

出演者は、先にあげた浅野ゆう子、柳葉敏郎の他に佐藤浩市、斉藤慶子、横山めぐみなど。1回目と最終回には主題歌『浅い眠り』を歌っている中島みゆきも出演している。

この脚本の終わりに収録されている主演の浅野ゆう子、脚本家の野沢尚、ドラマのプロデューサーの大多亮の対談もドラマ現場の匂いがして興味深い。


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