あんにょんキムチ ネタばれ度:★★★ 2000.8.29記

在日コリアン制作のドキュメント映画。もうこの時点で「暗そう」「重そう」という偏見をまず持ってしまった。本来見に行く気もないところだが、なぜかタイトルの「あんにょんキムチ」という軽い響きが気になり見に行ってしまった。
上映館は東中野のBOXという客席数70の映画館。そこで毎日朝と夜1回ずつ上映されていた。平日の朝(といっても11時なのだが)なので人もいないだろうと思いきや上映開始時には40人近くの観客がいてビックリ。客層は男女半々なのだが圧倒的に年輩者が多かった。

映画はひと言で言うと監督である松江哲明(在日コリアン三世)のルーツ探りだ。
哲明の祖父は死ぬ直前に13才の哲明の名前を呼びつづけていたそうだ。しかし、哲明は「眠かった」という理由で祖父のもとへは行かず死に目に会えなかった。という大馬鹿者だった。
葬儀の時に初めて事の重大さに気づき後悔。そして自分と祖父のルーツ探しとなる。
この祖父・勇吉の日本へのこだわり、韓国への考え方について哲明が疑問持つことからこの映画の制作が始まる。もうこの世にはおらず語ることのない祖父・勇吉とはどのような人だったのであろう、映画を見ている側もだんだんと興味が出てきてしまう。

哲明の祖父・松江勇吉(韓国名:劉 忠植)は1915年韓国・忠清南道で生まれ、14才の時に日本に渡ってきた。浅草で帽子職人になるべく奉公し、韓国に一度戻った際に韓国人女性と結婚し、再び日本へと戻る。そして4人の娘をつくる。末っ子のメイ子が哲明の母である。
祖父・勇吉は日本で生活するには日本人以上に働き、日本人にならなくてはならない、と韓国の習慣などは全て捨てて日本人として働きつづけた。
何度も帰化申請をしたが、語学の問題などもあり帰化できなかった。
哲明は祖父が韓国を思わせる洋服を着てたことや韓国語を喋る場面を一度たりとも見たことがなかった。祖母にも日本の着物を着せてチマチョゴリは捨てさせてしまった。
哲明は祖父のことを韓国嫌いと思っていたようだ。在日韓国人が眠るお墓にも他の韓国人が韓国名を墓石に刻んでいるのに勇吉の墓は「松江家」とされている。
そんな日本びいき?の祖父・勇吉であったが娘4人の結婚相手には、けっして日本人は許さなかったという話。祖父の唯一の韓国人友人の息子さんが語った話「君のお祖父さんはここに来て酒を飲むと韓国語しか話さなかった」これらのエピソードは祖父の複雑な思いを哲明に投げかける。

映画に登場してくるのは、哲明の家族(祖母、母、父、母の上の姉妹3人、そして哲明の妹)が祖父のことやそれぞれの韓国感、日本感を語ることで構成されている。
はたして祖父は韓国が嫌いだったのだろうか、という疑問を持ちつつ祖父の生まれ故郷の韓国・忠清南道に行った哲明はそこで祖父が名のった「松江」という名字の由来に遭遇する。
映画のラストで哲明の家族のそれぞれに韓国と日本の国旗を前にして、自分にとっての国旗はどちらかと選ばせるシーンがある。祖母は韓国国旗を。そして祖母に「お祖父ちゃんだったら、どっちだと思う?」と聞く哲明。祖母は迷わず韓国国旗を振る。母の姉妹はそれぞれだ。妹は日本の国旗を。
はたして哲明は・・・。哲明は「在日韓国人」よりも「韓国系日本人」の方がしっくり来るらしい。

この映画は少しも暗い部分は表面的にはない。しかし、ハンチョッパリという言葉や哲明が韓国は嫌いだと言った時に父が一瞬見せる悲しそうな複雑な顔。妹がひょうひょうと語る口調などちょっと胸がドキドキして来る場面はいくつかあった。
哲明が韓国で祖母の親戚を訪ねた時に「日本人、韓国人、半々じゃダメなのかなぁ?」と言ったら親戚のおばさんは間髪いれず「それはダメ」と言いきった。
祖父は「松江勇吉」として死に葬儀をあげたのにもかかわらず火葬される時は「劉 忠植」として火葬された。戸籍上の名前でしか火葬許可はおりないらしい。
たった52分の映画だが、暗くて重い部分がない分、見ている側も思い詰めずに考えることができる映画かもしれない。

ちなみに「あんにょんキムチ」というタイトルは、日本でこそ「こんにちはキムチ」ととらえられたようだが韓国では「さようならキムチ」という風にとらえられたらしい。
この大馬鹿野郎の監督、松江哲明はキムチが食べられないというオマケ付である。


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