キル・ビル vol.1 ネタばれ度:★★☆ 2003.11.11記

クエンティン・タランティーノの映画は『パルプ・フィクション』しか見ていないので根っからのタランティーノ・フリークではない。この『キル・ビル vol.1』もどうしても見たいというわけではなかった。見るきっかけは「和洋混在映画」という部分に興味があったからだ。
タランティーノにしろウォン・カーウアイにしろ時代の寵児というか時代に嵌る監督って必ずいるから面白い。嵌れば監督にしろミュージシャンにしろこれほど強いものはない。なにしろ裸の王様的な存在になれるから。ウォン・カーウアイはSMAPの木村拓哉で映画を撮るようだが、はたしていつまで裸の王様でいられるのか・・・。
タランティーノも同様に王様になったのか、あるいは裸の王様なのか定かではない。ただ、今現在、この映画のマスコミというフィルターを通しての扱われ方を見ると最低でも裸の王様にはなっているのは確実だろう。雑誌『BRUTUS』なんかはまるごと1冊、タランティーノ特集をしているほどだ。今回の『キル・ビル vol.1』の浸透の仕方は何となく80年代ぽくて面白い。

KILL BILL・・・このBILLの最後の「L」のところに申し訳程度に「vol.1」と表記されているようにこの映画は「前編」部分だ。家内と一緒に見に行ったが、何も知らなかった家内はエンドロールが出始めたとたんに「エッ!これでお終い?」と驚きと不満でいっぱいの表情だった。後編部の公開は2004年4月とエンドクレジットには書いてあった。上映館によっては、もう前売り鑑賞券を売っているらしい。そりゃvol.1を見た帰りには勢いで続きのチケットを買ってしまうわな。

さて映画だが、実に面白い。オープニングでナンシー・シナトラの『バンバン』が流れてきた段階で面白そうと興味と期待度が高まるのは確実。既成の曲ながら歌詞の内容など、まるでこの映画のための書下ろしではと思えるほどマッチしている(そういえば、『パルプ・フィクション』でも映画が始まってすぐに曲でぶっ飛んだっけ)。
『パルプ・フィクション』同様、時間軸ぶった切りだし、テンポも速いから今見ている画面がいつの時間なのか瞬時に理解するのは困難な時がある。そして、何より「あり得ない」ことの連続なので、それもまた混乱に拍車をかける。映画中の航空会社「エアーオキナワ(AirO)」の機内は刀の持込OK、しかも刀ホールダーが座席の横に装備されていたりする。ユマ・サーマンが4年間の昏睡から目覚めてすぐに4年もの時間の経過に気付いたりするのも変といえば変。とにかく変なところを探し始めたらキリがないので、漫画でも見る気分で見ないことには成立しない映画だ。

すごいなと思うところももちろんある。ユマ・サーマンが沖縄に住む千葉真一の家の天井裏部屋に案内され、彼の作品である刀コレクションを見るシーン。見ている側は、この多くの刀の中から1本を選ぶんだろうなぁと予感してしまう。そして、不思議なことにどの刀が選ばれるかすぐに予測できてしまう。これは私だけではなく、ほとんど人が予測できたと聞いているので刀の置き位置、デザイン、色などかなり計算されていたのではないだろうか。
ユマ・サーマンの大立ち回りが見られる青葉屋。ひと目して西麻布の「権八」(小泉首相とブッシュ大統領が会食したところ)がモデルだなと分かるほど魅力的なセットは異日本的で面白い。外国人にウケそうな空間だ。
ルーシー・リューの生い立ちを語る場面でのアニメーションも笑えるし泣ける。もしも実写だったらあのスピード感は出なかっただろうし、もっとグロくなってしまっただろう。
そして、何よりこの映画を支えているのは音楽だ。先にあげたナンシー・シナトラの曲から梶芽衣子までどれもこれも素晴らしい。映画を見て気に入った人は、サントラが欲しくなることだろう。知人がシネコンの隣の劇場で別の映画を見終わって帰り口に向かう途中、ちょうど『キル・ビル vol.1』もエンドロールが出ていた時間で劇場の出入り口から音楽が聴こえてきたらしい。それが、ちょうど梶芽衣子の『怨み節』だったのでひっくり返りそうになったと言っていた。

見ていて痛くなるほどのバイオレンス映画のテイストあり、ヤクザ映画のテイストあり、マカロニ・ウエスタン映画のテイストあり、香港映画のテイストありと映画大々好きのタランティーノの趣味がてんこ盛りのこの映画。○か×かのどちらかだろう。×の人は以降、タランティーノ映画を見ることはないだろう。○の人は、タランティーノが王様なのか裸の王様なのか自身の目で確かめるために今後も彼の映画につきあうべきだろう。

日本人役者もたくさん出ているが、ゴーゴー夕張役の栗山千明、たいそう頑張っていたので拍手。

2003年作品。113分。


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