DAVID BOWIE <1973/4/20 at 渋谷公会堂> 2000.1.14記

前年1972年12月に当時のグラム・ロックのもう一人の代表であるT-REXが来日した事もあって、ボウイの来日はまさに待望という言葉ピッタリだった。
飛行機嫌い、というふれこみだったボウイの来日は、船に乗っての横浜港に上陸という形で実現した。のちのボウイを見ると決して飛行機に乗らなかったわけではないので、この来日手段はプロモーション用ということなのであろう。ちなみに帰国に関しても船を利用。ウラジオストックまで行き、そこからシベリア鉄道でヨーロッパに帰ったという念のいりようだった。ただし、本当にヨーロッパに行ったかは定かではないが、次の公演が5月12日のロンドンだったので、案外本当かもしれない。

ボウイの来日は音楽シーンだけでなく、当時の日本の流行シーン全てを巻き込むものだった。ファッション業界やアート、デザイン、全てがボウイ一色だった。
ボウイも積極的に日本の文化に触れていたようで、私自身も渋谷パルコや赤坂のディスコ、ビブロスでオフのボウイに遭遇している。

ボウイの初来日は、初期の名作、「ジギー・スターダスト」と「アラジン・セイン」を引っさげてのものだった。
コンサートはなんと新宿厚生年金、渋谷公会堂など2300人キャパの会場で行なわれた。私自身は新宿と渋谷の両方に行ったのだが、渋谷のほうが席が良かったので、こちらの方が印象に残っている。
オープニングは館内にテープで「歓喜の歌」が流れて始まる。ボウイは歌舞伎よろしくセリ上がりで出てくる。コスチュームは、山本寛斎がデザインしたというもので漢字で「出火吐暴威」と書いてある。どうみても暴走族のノリである。私はこの衣装を見て以降、山本寛斎のデザインについては全く評価できなくなってしまった。衣装はいただけないが、ステージは圧倒的に良かった。
1曲目「ハング・オン・トゥ・ユアセルフ」のイントロと同時にこれまた歌舞伎のように両サイドから黒子が出てきて、衣装を切り裂く。そこには、また違うボウイがいた。
バンドもレコーディング・メンバーをそのまま帯同した。bassにトレバー・ボールダー、drumsにマイケル・ウッドマンシー、keyに前衛的なタッチが魅力的だったマイク・ガーソン、そしてGuitarはあの、ミック・ロンソンという顔ぶれ。
特に、ミック・ロンソンとボウイの絡みは期待していなかっただけに、その存在感(ミック・ロンソンの)をおおいにアピールするものだった。
演奏は、シンプルなロック・サウンドながらマイク・ガーソンの前衛的な演奏とミック・ロンソンのギブソン系ギター特有のディストーションを効かせたギター・ワークがボウイを宇宙的にし、観客もボウイの世界に入り込まされてしまう完璧なものだった。
T-REXがブギーだけのギミックに見えてしまったし、グラム・ロックの両雄と言われていたが、この表現が適切でない事は、この日のステージで明らかになったようだ。
アンコールの「ロックンロールの自殺者」でボウイは後のリンゼイ・ケンプとの出会いを予感させるようなパントマイムを披露する。ステージ最前列につま立つボウイは遠いかなたを見つめ、笑みを浮かべたと思うと、両手を大きく広げて、翼を動かすがごとく、空に舞い上がるというパントマイムなのだが、私をはじめ、ほぼ全員の観客は、一瞬ボウイが本当に宙に浮いたような気がしたほどのパフォーマンスだった。

この来日の後、ボウイは78年に再来日にする。ブライアン・イーノに影響を受けていた頃でギターにエイドリアン・ブリュー、キーボードにユートピアのロジャー・パウエルを従えてのものだ。83年には、「レッツ・ダンス」「戦場のメリークリスマス」で大ブレイクしたシリアス・ムーンライト・ツアーで来日。87年には日本公演は実現しなかったがグラス・スパーダー・ツアー、そして90年代になって各国でリクエストにより曲目を決めるというワールド・ツアーで来日する。
それら全てを見た私は、そのどれもが印象的であったが、初来日となったこのジギー・スタダスト・ツアーは一番印象に残っている。
ただ一つ、TIN MACHINEというプロジェクトは何なのであったのか、それだけは疑問である。
ちなみに、ボウイはDAVID BOWIE債権の発行やプロバイダー事業もやっている。このプロバイダーに加入すると、メールアドレスは、○○@bowie.netとなる。

演奏曲目:

-ハング・オン・トゥ・ユアセルフ
-ジギー・スターダスト
-チェンジス
-月世界の白昼夢
-パニック・イン・デトロイト
-アラジン・セイン
-円軌道の幅
-スペース・オディティ
-ジーン・ジニー
-タイム
-5年間
-夜をぶっとばせ
-スターマン
-サフラゲット・シティ
<アンコール>
-ロックンロールの自殺者
このベースのコスチュームには泣ける・・・。
今見ると、ちょっと恥ずかしい。
当時アンコールでは、ステージ前に殺到はお決まりだった。

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