LED ZEPPELIN <1971/9/23 at 日本武道館> 1999.12.07記

この年、1971年は「外タレ元年」と言っていいほど、今まで考えられないぐらいの注目ロック・バンドが来日コンサートを行なったと記憶している。2月にBST、4月にはFREE、6月にChicago、7月にGFR、8月はPINK FLOYD、そしてツェッペリンの後にはELON JOHNも来日している。
どうして急にこんなことになったのかは、当時高校生だった自分にはわからなかったが、全部見るにはお金がなさすぎたという悩みがあったことだけは記憶している。
当時のチケットの値段はS席が2800円ぐらい、C席まであってそれが1500円だったと記憶している。チケットの発売方法は今のようにオンライン・システムなどないので、全てプロモーターの事務所とプレイガイドでの手売りのみ。従って、渋谷のプレイガイドでは売り切れたが、上野のプレイガイドにはまだ売れ残っている、よし!そっちに行こうなどという状況がしょっちゅうだった。今、改めて思い出してみると間抜けな話のようだが、その時代を反映しているエピソードのひとつでもある。

でツェッペリンだが、4枚目のアルバム、俗称「4シンボルズ」をリリースした直後の来日だったようだ。来日2ヶ月前に当時の後楽園球場でグランド・ファンク・レイルロード(GFR)が雨の中でのロック・コンサートという一般新聞にも掲載されるようなムーブメントを起こしていただけに、ツェッペリンへの期待感は大変高かった。

コンサートは、当時、唯一ツェッペリンのライブを聞くことができる海賊盤「ブルベリーヒル」と構成はほとんど一緒。
オープニングは、3枚目のアルバムからシングル・カットされた「移民の歌」。この曲以外にオープニングは考えられないというほど、印象的なフレーズが鳴り響くと、ステージ上には、ミュージック・ライフで見たままの4人が立っていた。ジミー・ペイジは、それで弾けるのというぐらいストラップを長くして低い位置でギターを弾きまくる。ロバート・プラントはローウエストのジーンズにボレロ風のジャケットを素肌にまとっている。ジョン・ポール・ジョーンズはひかえめに黙々とベースを弾いている。ジョン・ボーナムは暴れん坊のごとく体全体でドラムを叩く、全く想像していたとおりの絵ずらであった。2曲目の「ハートブレイカー」へは切れ目なく、メドレーで突入。その後、ブルースを基調にした「貴方を愛し続けて」へと耳慣れた曲が続く、今思うと音はかなり悪かったんだと思う。ベースの音がモコモコ武道館中を包んでいたような気もする。
ちょっと意外だったのが、ジミー・ペイジの演奏がかなり荒かったことだ。しかもミス・トーンも多かった。これがライブの醍醐味さなどと無理に納得していたものの、翌年の再来日の時もそうだったこととあわせ考えると、これは何だったんだろう?もしかしてあまりうまくないのでは・・・とも考えられる。
更に、「幻惑されて」ではジミー・ペイジのギター・サイケデリックな世界が展開されるのだが、ギター・ソロが延々30分近くも続くと贔屓目で見ていても辛くなってしまう。
それは「モビー・ディック」でのジョン・ボーナムのドラム・ソロでも同様のことが言えてしまう。
しかし、「天国への階段」でのジミー・ペイジの12弦と6弦のツイン・ネックのギターは、これまた写真で見たとおりのカッコよさだったし、「胸いっぱいの愛を」でのロバート・プラントとジミー・ペイジの絡みはなんのかんの言ってもやはり存在感がある。

トータルで考えると、ツェッペリンのコンサートが目の前で行なわれているという夢のような現実に本来、粗(アラ)と思えるようなものも全て帳消しされてしまったということなのかもしれない。
ちなみにこの日の演奏時間は、アンコールの「コミュニケーション・ブレイクダウン」まででおおよそ2時間。次の日は2時間半、チャリティーとして行なわれた広島でのコンサートは3時間半だったようだ。
今考えると、ツェッペリンのコンサート自体は、それほどスゴイものではなかったのかもしれない。しかし、長い目で考えると、記憶に残るコンサートであったことだけは事実である。

演奏曲目

-移民の歌
-ハートブレイカー
-貴方を愛し続けて
-ブラックドッグ
-幻惑されて
-天国への階段
-祭典の日
-ザッツ・ザ・ウェイ
-カリフォルニア
-モビー・ディック
-胸いっぱいの愛を
〜ハロー・メリー・ルー
〜ア・メス・オブ・ブルース
〜ハウ・メニー・モア・タイムス
〜ユー・シュック・ミー
〜胸いっぱいの愛を
<アンコール>
-コミュニケーション・ブレイクダウン
ホテルでの悪行三昧は当時話題に。
記者会見でのZEP4人衆。

72年のオープニングはROCK'N ROLLだった。
翌72年再来日時のステージ。

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