アメリカ同時テロ雑感 2001.9.22記

日本時間2001年9月11日午後10時に事件は起きた。その日関東地方に上陸した台風のニュースでも見ようかと9時54分から「ニュース・ステーション」を見ていたら、午後10時ちょうど頃にキャスターの渡辺真理がいつものように大袈裟な顔で第一報を告げた。その時の内容は国際貿易センタービルに小型機が激突した、というものだった。
エエェ〜という感じですぐにスカパーのCNNに切り替えた。どうも様子がただごとでないことはすぐに画面から伝わってきた。そうこうしているうちに2機目の突入があった。こうなると偶然の事故ではなく事件であることは明確である。
以後、事件はテロであることが判明し、世界中を震撼させていった。

このテロ事件について自分の感想なりを書こうと思ったら、それだけでひとつのサイトができてしまうことだろう。ただ、この事件を見過ごすこともできないし、自分の記憶の記録として何かを残しておきたいとも思った。
どういう手法が良いだろうと考えた結果、事件の報道などを見たり聞いたりした中で自分が「気になったこと」「思ったこと」「感じたこと」を組み立てもせずに羅列することにした。文章としてまとめるにはあまりにも文才もないし、飾りだてしないほうがこの歴史的愚行・汚点に間接遭遇した自分の気持ちを一番表す良い方法ではないかと思った。

民間人が多数亡くなり、テロの卑劣さが強調された。もちろんテロ行為は許されるべきことではないが、我が国は戦争で広島、長崎に原爆を投下され70万人近くの民間人が一瞬にして命を奪われた世界で唯一の被爆国だ。テロは悪くて戦争では良い、などとは誰も言ってもいないが被爆国の国民の反応としては少し疑問に思う面もあった。

ブッシュ大統領の顔の表情が日が経つにつれて変わってきているようで気になった。最初は怒りと悲しみが同居し、どのような表情をして良いのかも分からないようで素の顔だったが、日が経つにつれて言うことも顔の表情も西部劇の保安官みたいな表情になってきていた。その表情にはちょっと怖いような気さえもした。

テロの首謀者とされているオサマ・ビン・ラディン(証拠らしきものは明らかにされていない)はテロの容疑者とされているが日本の報道はオサマ・ビン・ラディンとしている。その表現にも日本の優柔不断さが表れていると指摘する論調もあるようだ。分からないでもないが、オサマ・ビン・ラディン容疑者が適切なのだろうか。面倒ならオサマ・ビン・ラディン・メンバーにでもするしかないのか。

湾岸戦争の時に「世界のキャッシュ・ディスペンサー」と評されたことを恥じて、防衛庁長官までもが今回は同じ轍を踏まない、と発言していた。政府も具体的な支援をと無策の中で困惑している。湾岸戦争の時に日本が支援したお金は130億ドルでこれは湾岸戦争での戦争経費(経費というのか?)の5分の1にあたるらしい。これだけの支援をすることは大変なことだと思う。何故、お金を用意する支援だけで悪いのか。と強い姿勢を持てないのだろうか。
諸外国からどのように思われるか。そのことが先行して支援方法を考えるのはなんとも愚策で情けない気がする。

貿易センタービル崩壊で飲み込まれた被害者の人々の救出で、公的機関は日本では考えられない早い時期で生存者はいないであろうという声明をした。これなんかも人質事件などでのアメリカ式突入と同じでアメリカらしい気がした。
このことは決して非難ではなく、見極めが早い、ということで考え方の違いだと思う。この考え方から察するにハワイ沖で沈没させられた「えひめ丸」の乗組員救出、沈没船引き上げ、などにあまり積極的でなかったことを窺い知ることができるのではないだろうか。


アメリカは今回のテロに対して最初から報復することを前提に動いていた。議会はもちろんNATOにもその正当性を承認させ、国民にもその正当性を訴えたし、ほとんどの国民も報復に肯定的だ。そして今、現在(9月22日)報復の準備は最後の段階に入っていると言われている。しかも、報復作戦の名称は『無限の正義』。世界の警察・アメリカは世界に対して「アメリカにつくか、テロ組織につくかの選択を求める」とまで言い切っている。タリバン政権は、アメリカが証拠も出さずに報復行為に出た時は『聖戦』で応じると宗教令の発令も辞さないようだ。アメリカが売られた喧嘩に対してどのような報復をするのか。諸外国の動きは。もちろん我が日本の動きは。そして21世紀がどのように動いていくのか。この時代を目のあたりにした者として、しっかり見届けたいと思う。
思うことはたくさんあるが、欲張らず随時加えていくことにしたい。

オサマ・ビン・ラディンを擁するといわれているタリバンの本拠地アフガニスタン、隣国のパキスタンなどに居住する民間人の心情や生活。そしてアメリカの報復が始まってからの生命の保証などを考えると呑気にホームページをいじっているのも気が引けるほどだ。
それらの国を他のニュース番組とは違う目線で果敢に取材したテレビ朝日の「スクープ21」がこの世紀の事件の最中に打ち切りになった。と言っても曜日と時間帯が移動するだけのことだが、日曜日の夕方7時からの番組という意味はかなり大きかったと思う。視聴率至上主義である現在のテレビの機構からすると失敗(低視聴率)だったのだろう。最後の言葉を語る鳥越俊太郎さんは口惜しそうだった。女性ながら(この言い方もセクハラだろうな)危険を顧みずパレスチナの現状を取材した長野智子さんの姿には感動すらした。
そして「スクープ21」を現状で支えきれなかったテレビ朝日には大変失望した。すっかりニュース・エンターテイメント・ショー化してしまった「ニュース・ステーション」よりも「スクープ21」のほうが数段良識ある上質なニュース番組であったと思う。


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