犬飼いあれこれ 2005.2.16記

今年は酉年で来年は戌年だ。戌年も他の干支と一緒で12年に1度巡って来るのだが、毎回戌年の年はペットブーム、中でも犬のブームになるらしい。12年前の戌年の時はシベリアン・ハスキーが大ブームになり一世を風靡した。しかし、ブーム後は飼い方に手を焼いて棄てられたり、保健所に連れて行かれたりで悲しい一生を終えたハスキーが後を絶たなかった。
来年の戌年はいつものブームよりもっと犬ブームが加熱するだろうと予想される。2年前からのアイフルのCMのチワワのくぅーちゃんがブームの前煽りに一役かったからだ。ミニチュア・ダックスやチワワ、トイ・プードルやヨークシャー・テリアなど小型犬が来年を待たずにして大人気だ。一番恐いのは、ハスキーなどと違って小型犬は処分?もしやすいということだ。悲しい運命をたどる犬たちが増えないことを祈るばかりだ。

誰もが最初から犬を棄てたり、処分をするために迎え入れることはあり得ない。なのに処分を考えてしまう・・・気持ちが変化してしまう原因としては、飼い方が予想以上に難しかったり大変だったりして、こんなはずではなかったのにということがほとんどではないだろうか。要は軽く考えて迎え入れてしまうというケースがほとんどと言って良いだろう。
我が家にも柴犬の大福という今年の4月で3才になる子がいる。ネットや実社会で知り合った他所の子に比べるとずいぶん手のかからない楽な子だが、それでも思うように行かず悩んだりすることが多々ある。それほど大変だということだ。

偉そうにもの言えば、他所の飼い主の中には「本当に可愛いと思っているの?」「本当に悩んでいるの?」と首を捻ってしまうような飼い主がけっこういる。
犬はペットではなく家族同然と擬人化しながら、実際は少しも家族扱いしていない飼い主。例えば躾け。犬をオフリード(ノーリード)にして遊べるドッグランなんかいい例だ。ドッグランで自由に遊んでいる犬は楽しそうだし、見ている飼い主も自分の愛犬が嬉しそうに走り回る姿を見るのはこの上なく楽しい。
しかしだ、最低限のルールを躾けてあげないでドッグランに直行している飼い主があまりにも多い。もしも人間の子でも同じようにするのか?と問いかけてみたいところだ。人間の子供が信号の見方や車の恐ろしさなども知り得ていないうちに一人で外に遊びに行かせるか?100%の親がそんなことしないに決まっている。なのに犬だと楽しさ優先で基本躾けもしないで遊ばせてしまう。「待て」や「来い」も教えてあげないで自由に遊ぶことを教えてしまうから、ますます飼い主の言うことを聞かなくなってしまう。これは犬が悪いのではなく人災でしかないということすら気づいていない。そういうオバカな飼い主のほとんどは普段の散歩もしっかりさせていない。その代替えとしてドッグランが存在しているわけだ。ふだんの手抜きをドッグランで解消という考え方なのだろう。何ともお気楽なことである。

躾けに関しても言える。ネットなどを通じて、ウチの子、呼び戻しができなくて困っている。イスや家具を噛んで破壊までしてしまう・・・などなど犬の本に出てきそうな悩みを抱えている飼い主がたくさんいる。しかし、実際に本当に困っているの?直したいと思っているの?と尋ねたくなってしまう場合が多い。少しもその悩みを解消する気配もなく、もっと言えば、こんなに困った子なんだけどやっぱり可愛いの・・・という感じだ。自虐的な意味も含めての発言なのかもしれないが、本気で困っているならちゃんと直してあげれば良い。飼い主は自分の愛犬に躾けをしてあげる義務があるのだよ。ここでも人間の子に置き換えれば簡単なのではないだろうか。ウチの子、他所の家のモノを盗んで困るのよぉって笑っていられるのか?躾けをしてもらえない犬は可哀想である。何が可哀想かって犬自身の責任ではなく人災の犠牲になっているからだ。
結局は手抜きのツケは犬が払うことなってしまうから可哀想なのだ。手抜きだから愛犬の具合が悪くなってもなかなか気づきもしない。ネットで見ていても「あんたの犬は間違いなく病気だよ」と分かるのもいるぐらいだが飼い主は全く気づいていない。勘弁してほしいものだ。

去年、ちょっと訳ありの柴犬が亡くなった。一昨年、家庭の事情で飼うことができなくなってしまった夫婦の片割れがが里子に出すというので、その犬があまりに可哀想なのでネットの知り合いを通じて里親探しをした。結果的に里親は見つかったが、これとて最初の段階で里親サークルから「人間の子であっても里子に出すんですか?」と質問されるわけだ。良識のある飼い主であれば、この段階で里子に出すのを思いとどまるらしい。ただ、注意しなくてはならないのは、里子に出すのを思い留まったフリをして保健所に連れて行ってしまうケースもけっこうあるらしい。この飼い主の場合もサークルで断ると最悪の判断をしかねないほど切羽詰っていた様子だったので里子として迎え入れることにした。
この柴犬にとって新しい飼い主のところでの生活は居心地の良いものではなかったようだが、一度棄てる決心をした飼い主のところに戻すよりはマシだろうと人間社会としての判断をしてしまった我々が正しかったのかはいまだに悩むところだ。何しろ飼い主に対する忠誠心が大きな子だったから。
そんな忠誠心を持ち合わせている飼い主なのに、この飼い主は最悪だった。里子に出した後もその柴犬の思い出を綴ったホームページを残し、いかに自分が苦渋の選択をして里子に出したかをネットの犬仲間にアピールしていた。本来であれば、自分は飼い主を放棄して愛犬を棄てたのだから新しい飼い主に対しての礼儀も含めてホームページは閉じるべきであることなど全く考えていない。あくまでも自分は悲劇のヒロイン気取りで今もそのサイトはネット上に存在している。しかも裏掲示板など作っているあたりも品性を疑ってしまうところだ。

犬たちは人間の言葉を話さないまでもけっこう人間の言葉や思いを理解している。我々飼い主は犬が一緒に生活してくれることにより、とてつもなく大きな喜びを得ることができる。だからこそ、犬たちの立場になってしっかり人生を全うさせてあげる義務があるのだと思う。その義務に一番大事なことは「想像力」以外何もない。
こんなことを声を大にして言い始めると、大袈裟なとか偉そうにとなるのだろう。でも、愛犬・大福のために人間関係がこじれるぐらい何とも思っていない。せっかく縁あって我が家に来てくれた大福のために精一杯義務をはたすことは何の苦にもならない。


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