感動をありがとう? 2000.6.26記

シドニー・オリンピック出場のための女子バレーボール最終予選が6月25日に終了した。
日本は参加国8ヶ国中6位の成績でシドニー・オリンピック出場を果たすことができなかった。1964年の東京オリンピック以来続いてきた連続出場記録も今回で絶たれたわけだ。
主催テレビ局の盛りあげも及ばず最悪の結果になったのだが、会場で応援している観客席の中に大きな横断幕がひるがえっているのがテレビで見えた。「感動をありがとう」。

もうそろそろ私たちは「イイ人応援」をやめる時期に来ているのではないだろうか。
選手たちは持てる力をフルに発揮しての結果なのだろう。しかし今回の大会はホームでの試合である。毎試合、決まった時間の試合開始、ウォーミング・アップのために弱いチームとの対戦を早い日程に組む、芸能人、テレビ局を加えた会場の応援。ホームとしてこれ以上ないぐらい恵まれた環境でも出場資格を獲得できなかったのだ。
クロアチア戦に敗れた段階で選手は泣いていた。自分たちの不甲斐なさや悔しさはじゅうぶんに感じていたのである。それを称える意味での「感動をありがとう」なのだろうが、入場料金を払って勝つのを見に来ているのだから、そろそろブーイングの精神も必要なのではないだろうか。第一、負けた選手に「よくやった」と言うのも失礼な気がするのだが。
オリンピックは参加することに意義がある。もうそんな時代ではないのだ。どの国も勝つために最大、いやそれ以上の努力をしている。中にはドーピングにひっかるような薬を用いても勝とうとする執着心があるほどだ。みんなで仲良しこよしでオリンピックに行こう、という応援が日本の選手を弱くしているのではないだろうか。

サッカー、フランス・ワールドカップ予選でどうしても勝てない日本チームが試合を終えてバスに乗り込む際に生卵が投げつけられた。そのフランス大会の予選リーグで得点を挙げられなかった城選手は帰国の時、成田で水をかけられた。
けっして暴挙を奨励しているのではないが、そのぐらい見ている側の感情も選手に伝えるべきなのではないかと思う。
ことバレーボールに関してはいまだに「努力・根性・忍耐」さえすれば負けても素晴らしい。という風潮が残っているような気がしてならない。一生懸命やったがダメだった。それではいけないのではないだろうか。
葛和監督が辞意を表明したそうだが、そんなことは当り前のことだ。結果を出せない監督はサッカーを見ても分るように辞める以外に方法はないのである。
年々女子バレーボールはチーム大型化してきている中で日本は身長159センチの選手を起用するという奇策も使ったが成功しなかった。他国が大型化を図っている時期にその対策もせずに、努力・根性・忍耐を信じて押し切ろうとしてきたのだから采配に明確なコンセプトを持ちきれなかった事は明白だろう。
この日本女子バレーボール界のツケは大きいだろう。低迷ぶりは今回のシドニー・オリンピック参加資格にとどまらずしばらくは続くことだろう。

あの無意味な「感動をありがとう」精神が衆議院選挙での群馬五区、小渕前首相の娘の当選につながるのではないだろうか。


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