歌を忘れたロック・シンガー 2000.10.12記

社会で生きていく中で自分の意志で転職をする事など今の世の中ではあまり珍しい事ではないだろう。
しかし、自分の生き方を歌詞にたとえロック・ビートに乗せてアピールするロック・シンガーの場合はどうなのだろう。
ストリート・ロッカーとして活動するもチャンスや才能に恵まれないまま、いつの間にかまともな職業に就いて思い出の一場面として残している人も多いだろう。
では、チャンスに恵まれてメジャー・デビューしたロック・シンガーはどうだろう。
ロックというジャンルでデビューしながらブレイクすると徐々に音楽活動を休止し、しまいにはバンドも解散、いつの間にか歌う事もやめて役者になっているロック・シンガーが数多くいるが、政治家でいうところの公約違反にはならないだろうか。
ロックという摩訶不思議なオーラを出して活動する彼らのレコードを買って、コンサートにも来てくれたファンを先導した責任はどうするのだろうか。ファンの中には彼らの歌の歌詞に影響を受けて人生を変えてしまった者もいるかもしれない。そんな大袈裟なという人もいるかもしれない。たしかに大袈裟かもしれないが、私が言う責任というのは、歌うことをやめないことだ。自分の生き方が変わったのならその変わったことをちゃんと歌にしてシンガーとして伝えろということだ。それがロック・シンガーとしてのファンへの最低限のルールだという気がする。
アイドル出身者が成長してベテランになってくるとデビュー当時の歌や写真を披露されることを思い切り恥ずかしがっていることがある。ロック・シンガーもそれと同じなのだろうか。もし、そうだとしたら恥ずかしい時代の彼らに共鳴していたファンたちはたまったもんじゃない。
子供バンド、ARB、ROCKERSのボーカルだった人たち、何で歌わないの?ウルフルズもその可能性大かも。それに比べて歌をやめずに役者としても成功しているハウンド・ドッグの大友康平なんかは立派だなと思う。


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