田原成貴調教師逮捕 2001.10.20記

売り上げが毎年じり貧のJRA。年末に向けてG1ロード開始という時に調教師田原成貴が逮捕されるという大事件が勃発した。容疑は銃刀法違反と覚せい剤所持。競馬で逮捕というと「八百長」という文字が自然に浮かんでくるので銃刀法違反と覚せい剤所持とは意外中の意外だった。

田原成貴は1959年生まれ。関西所属の騎手だった。98年に騎手を引退して調教師となり99年に開業した。
騎手時代の成績は華やかなものだった。競馬場がまだ鉄火場としてのイメージが強かった78年に騎手デビューした田原は元祖ビジュアル系の騎手でもあった。実際「栗東(関西)の玉三郎」などと呼ばれていた時期もある。
引退をするまでのGI勝利15回は名騎手としてじゅうぶん評価されて良いものだと思う。86年に落馬事故にあい、腎臓摘出手術を克服し見事にカンバック。その後の活躍は素晴らしかった。トウカイテイオーでの有馬記念勝利。引退前年の97年、マヤノトップガンでの4冠達成は充実の極みでもあった。だから、引退を発表した時は周囲から「早すぎる」という言葉で引退を惜しまれた。

名騎手、名調教師にあらず。と、よく言われるように田原の調教師としての成績は今ひとつだった。しかし、田原の調教師としての評価はまだまだこれからだったと思う。
騎手時代から田原の行動は保守的な競馬サークルにおいては目立つことが多かった。誰かれはばからずに正直にものを言うことを疎ましく思う人も多かったようだ。
実際、その発言や行動は大きな波紋を与え、スポーツ紙上を賑わせたこともある。

その例をいくつか挙げてみる。
82年、スプリングステークスで圧倒的1番人気のサルノキングに騎乗。レース前半を最後方で進み、向正面から暴走気味に先行集団にとりついたが直線では失速して4着に敗退。そのレースぶりは常識外れと言われレース後場内は騒然となったばかりか各新聞でもバッシングされた。実際、サルノキングは右前脚を骨折していた。この件に関しての田原のコメントは「この馬にとって最も適したレースをして負けただけ。責められる理由はまったくない」だった。

92年エリザベス女王杯直前のインタビューで騎乗するサンエイサンキューの状態に関して「非常に悪い状態。これで勝てたら騎手をやめてもいい」と発言し、オーナーや調教師の怒りをかうもサンエイサンキューに騎乗。レースは5着に敗れた。レース後も前の発言について質問され「真実をファンに伝えるのも騎手の役目」と話す。

98年スポーツ紙の記事に抗議のため記事を書いた記者を検量室に呼び出した。その際、ステッキが記者にあたり前歯を折る重傷を与えてしまった。「偶然に当たってしまった」と言明。

調教師になっても2000年に皐月賞最有力候補のフサイチゼノンが脚部不安で出走を回避。出走回避をオーナーは翌日のスポーツ紙で知る。オーナーに相談せずに出走回避を決めたことにオーナーは激怒、フサイチゼノンは他厩舎に転厩舎した。

今年になっても調教中に馬の耳に発信機を装着して馬の管理していたことが発覚。無許可での行為に競馬会から過怠金を課せられ罰せられた。

このように考えようによっては正論も多いのだが、そのストレートさには敵も多かったようだ。
更に、現役時代から表には出てこなかったようだが、黒い世界との関わりも噂されたりもしていたが、それが事実なのかやっかみからなのかは分からない。
最近の言動や行動が尋常ではなかった。と事件後、関係者からの話としてスポーツ紙にも出ていた。

田原の最近の精神状態など知る由もない。しかし、ニューヨーク・テロ事件以来、飛行機への搭乗は以前よりも警備が厳しくなっていることは容易に考えられるこの時期。刃渡り19センチのナイフを機内に持ち込もうとする行為はどう考えても尋常ではない。彼の身に何かが起きていたのかもしれない。

今度の事件で田原は調教師の資格を剥奪されるだろう。そして競馬会を永久に追放されるだろう。
スポーツの世界ではよく「記録よりも記憶に残る」と言い方をするが田原成貴はまさに正でも負でも競馬史上記憶に残る男になった。

さらば!田原成貴!


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